竹永みつえの 活動日誌 200 3 8

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2003年3月

広島平和式典 写真特集

8月6日 被爆58年目のヒロシマに行って来ました。

資料館です。


私の母も被爆者です。10歳の時被爆した母は3歳の弟をオンブして比治山へ逃げたそうです。母の両親、私の祖父母にあたるひとも被爆が原因の原爆症で戦後2年以内に次々と無くなりました。「2度と戦争はさせない」被爆2世として私もここで誓いました。

子ども達の運動でたてられた平和の少女さだこ像です。

生き証人の原爆ドームです。


平和公園のそばに流れている川。あの日たくさんの人が水を求めて飛び込み命を失いました。何事もなかったようにきれいな景色、いつまでもこの美しい景色を守らなければいけません。

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平和公園にはこうしてあちこちに自分なりに平和を表現している方々が・・・この絵にひきつけられてみとれていた。思わずシャッターを切る、そのとき不思議な光が・・・私はこのとき、非科学的だが私の祖父と祖母のような気がした・・・

毎日ドームを描き続けている女性。今日のドームは平和を願う世界中の人に囲まれ幸せそうだとか・・・・絵の中のドームは笑っているようです。

音楽で平和を伝える方もたくさんおられました。

原水爆禁止世界大会

原水爆禁止世界大会2003ヒロシマに参加。

世界中の人々が、ノーモアヒロシマ、ノーモア長崎と連帯しました。

劣化ウラン禁止ヒロシマプロジェクトの方々と交流。岡山からかれん会長の木南親子と私が参加。広島瀬戸内新聞のさとうしゅういちさんのお世話で、(写真前)今回イラクの医師の生の声が聞けました。「イラクには自衛隊はいらない、医療支援を!」の切実な声。

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世界の日本の青年交流INヒロシマ

1)ニュージーランドの女性
  核開発に財政支援をしている企業は許さない。「コカコーラーを買わないで」と訴えます。

2)アメリカの女性は「意識」の問題。人権感覚を育てよう、平和に繋がる。とのメッセージ

イラク戦争で劣化ウラン弾の被害にあったこどもたちの写真を見て感じたことを絵にしたという日本の青年。絵がすべてをものがったっています。

平和行進を東京からヒロシマまで通し行進した、高橋れいなさん。たくさんのことを得たと元気いっぱいの笑顔です。